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宮崎地方裁判所 平成3年(ワ)645号 判決 1996年3月18日

原告

甲野花子

外四名

原告ら訴訟代理人弁護士

成見幸子

真早流踏雄

徳田靖之

後藤好成

橋口律男

松田公利

被告

宮崎県

右代表者知事

松形祐堯

右指定代理人

川越俊宏

外六名

被告

三井島千秋

被告ら訴訟代理人弁護士

佐藤安正

加藤済仁

主文

一  被告らは、各自、原告甲野花子に対し、四一五万円、その他の原告らに対しそれぞれ三六万二五〇〇円及びこれらに対する平成三年一二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは連帯して、原告甲野花子に対し四七三六万〇三三三円、同甲野春子に対し四〇六万三三六一円、同甲野一郎に対し四〇六万三三六一円、同甲野夏子に対し四〇六万三三六一円、同甲野二郎に対し四〇六万三三六一円及びこれらに対する平成三年一二月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

亡甲野秋子(昭和二三年一〇月二六日生。以下「秋子」という。)は、平成二年六月ころより、精神的障害、糖尿病等の治療のために宮崎県内にある一ツ瀬病院等に入院して治療を受けていたところ、平成三年七月二日ころより腎機能が急激に悪化したことから、同月一二日、血液透析を含めた治療の実施を目的として被告宮崎県が開設する宮崎県立宮崎病院(以下「県立病院」という。)で診察を受けた。秋子を診察した県立病院内科医長被告三井島千秋(以下「被告三井島医師」という。)は、秋子には、血液透析療法を実施する適応がないと判断した。また、同月一七日、秋子は、再び県立病院に来院し、同病院精神科に入院した上で、精神的障害に関する諸検査を受けた。被告三井島医師は、秋子が右精神科の諸検査の結果重度の精神分裂病であると診断されたことから、秋子には血液透析療法を実施する適応がないと判断し、秋子を一ツ瀬病院に帰院させた。その後秋子は、同月二〇日、一ツ瀬病院で死亡した。

秋子の遺族である原告らは、第一次的には平成三年七月一二日時点における被告らの注意義務違反を主張し、第二次的には同月一七日時点における被告らの注意義務違反を主張して、被告三井島千秋に対して民法七〇九条に基づき、被告宮崎県に対して同法七一五条に基づいてそれぞれ損害賠償を求めた。

第三  当事者双方の主張

一  原告らの主張

1  被告らの過失

(一) 平成三年七月二〇日までの秋子の容体及び治療経過

(1) 秋子は、平成二年六月四日から国立療養所宮崎病院に入院して、糖尿病等の治療を受けていたが、精神科的治療が必要であるとして、同年八月三日一ツ瀬病院に転院して入院治療を受けていた。この時点における秋子の容体は、尿路感染症、脱水による腎不全、低栄養、電解質異常を併発した。また、国立療養所宮崎病院入院時における、尿素窒素値は88.8mg/dl、血清クレアチニン値は2.3mg/dlであり、ナトリウム値は一二四meq/l、カリウム値は7.0meq/lで、低ナトリウム血症、高カリウム血症を呈していた。

(2) 一ツ瀬病院転院後の秋子の容体等については次のとおりである。すなわち、転院直後の平成二年八月一八日以降の尿素窒素値は二〇mg/dl台に落ちつき、血清クレアチニン値も1.2mg/dlと良好な値を示すなど、安定した状態が平成三年三月ころまで継続していた。しかし、平成三年四月一五日の検査においては、尿素窒素値が44.2mg/dlを示し、同年五月一日の検査においても尿素窒素値48.4mg/dlと上昇し、同日の血清クレアチニン値は1.9mg/dlと上昇していた。右検査結果等により、秋子には、糖尿病に由来する神経因性膀胱、尿路感染症、水腎症が認められ、カテーテル留置の必要性があったことから、一ツ瀬病院の佐々木達郎医師(以下「佐々木医師」という。)は、泌尿器科医である斉藤康医師(以下「斉藤医師」という。)と相談のうえ、秋子を同年五月一三日、さいとう医院に入院させることとした。

(3) さいとう医院転院後の秋子の容体は、同年六月二〇日までは、尿素窒素値が四〇ないし六〇mg/dl台を推移し、血清クレアチニン値も2.0mg/dlを超え、非代償性腎不全期となり、同日以降は、両測定値ともに急激に上昇していた。そして、同年七月二日以降は、秋子の腎機能は急激に悪化し、血清クレアチニン値は、七月二日に3.5mg/dlに上昇し、七月八日に5.0mg/dl、七月一一日には9.0mg/dlまで上昇して慢性腎不全の急性増悪状態となった。

(4) 平成三年七月一一日、斉藤医師は、秋子の腎機能の治療のためにも精神科的治療が必要であると判断し、一ツ瀬病院に転院させて精神的に安定させ、併行して斉藤医師自身が一ツ瀬病院に往診する形で腎機能悪化に対する治療を行うこととなった。ところが、秋子が一ツ瀬病院に転院した後、同日朝に実施した血液生化学検査の結果が判明し、尿素窒素値95.7mg/dl、血清クレアチニン値9.0mg/dlを示していたことから、斉藤医師は、すぐに一ツ瀬病院の佐々木医師と協議した上で、腎不全と精神疾患の治療としては、一ツ瀬病院で二人で行うよりも、もう少し大きな施設で行ったほうがよく、又、秋子の腎不全の悪化が短期間に、しかも急激に重篤化し、更には乏尿状態であったため、生命の危険も認められたことから、血液透析も含めて、腎不全について専門医による治療を継続すべきであることから、秋子を県立病院に紹介することに決定した。

(5) 斉藤医師は、秋子の治療を県立病院泌尿器科の蓑田医師に依頼したが、秋子には糖尿病が認められ、その悪化が腎不全と関連している可能性があったことから、秋子の診断は、糖尿病の治療も行うことができる内科の被告三井島医師が行うこととなった。右のような経緯からすると、県立病院としては、秋子についての依頼の趣旨が、秋子の腎機能の悪化についての血液透析の実施を含めた治療の要請であると受けとめていたことは明らかである。

(6) 秋子は、平成三年七月一二日、県立病院を受診し、被告三井島医師の診断を受けたが、被告三井島医師は、簡単な触診をし、血圧と脈拍を測定したのみで、血液検査等を実施しなかった。被告三井島医師は、秋子の病名を慢性腎不全、糖尿病性腎症、尿路感染症、神経因性膀胱と診断し、かなり急激に腎機能が悪化してきていることを認めたうえで、慢性腎不全の急性増悪が、尿路感染症や神経因性膀胱のコントロールによって、従前のレベルまで回復する能力及び本人が血液透析の必要性を了解する能力に欠け、外来通院による血液透析を行うことができないと判断し、何らの治療もすることなく、秋子を一ツ瀬病院に帰院させた。

(7) 一ツ瀬病院に帰院した後、平成三年七月一五日に行われた血液生化学検査の結果によると、尿素窒素112.9mg/dl、血清クレアチニン値11.7mg/dlとあり、血清ナトリウム値も一二二meq/lと低下して、秋子の腎不全の状態は一層増悪した。翌一六日においても、尿素窒素値112.2mg/dl、血清クレアチニン値11.4mg/dlと変わらなかった。そこで、佐々木医師は、再度県立病院精神科の渡辺医師に連絡をとり、同月一七日、秋子は県立病院に入院した。右入院時における秋子の容体は、慢性腎不全の急性増悪が一層進行し、その血清クレアチニン値と尿素窒素の所見は、早急に何らかの透析療法を開始する必要がある状態であったこと、浮腫、出血傾向、神経症状等尿毒素の症状として矛盾しない所見が認められること、低ナトリウム血症が認められ、その補正が求められること、血圧、体温、脈拍、呼吸数等は正常で意識レベルはしっかりしており、入院目的も理解していたこと等全身状態は悪いながらも小康状態を保っていた。

(8) 被告三井島医師は、秋子に対して血液透析の適応がないとして、同年七月一九日、秋子を再び一ツ瀬病院に帰院させた。秋子は、翌二〇日午前六時四五分、慢性腎不全による代謝性アシドーシスにより死亡した。

(二) 平成三年七月一二日における被告らの過失

前記した平成三年七月一二日までの秋子の腎不全の状態及び同日における秋子の容体等からするならば、被告三井島医師としては、秋子を血液透析を行うことが可能である県立病院に入院させて、いつでも血液透析を導入できる態勢をとりながら、保存療法を行い、その効果が認められなければ直ちに血液透析療法を行うべき注意義務があった。にもかかわらず、被告三井島医師は、秋子に対して確たる問診も実施せず、諸検査によって全身状態や腎機能の状態を把握しようともせず、単に秋子に精神科的疾患があるという理由のみで、秋子を一ツ瀬病院に送り帰した。

(三) 平成三年七月一七日以降における被告らの過失

前記した平成三年七月一七日までの秋子の容体等からするならば、内科的治療の主治医である被告三井島医師としては、直ちに血液透析を実施すべき注意義務があった。にもかかわらず、被告三井島医師は、秋子に精神障害があることを理由として血液透析療法を行わなかった。

(四) 秋子は、被告三井島医師の右注意義務違反により、平成三年七月二〇日死亡するに至った。

2  原告らの損害

(一) 逸失利益

二八六一万三七七九円

亡秋子は、死亡当時四二歳であり、専ら家業である農業を手伝うとともに、家事に従事していた者であるところ、平成元年度の平均賃金センサス全国労働者の満四二歳の年収入は二九〇万〇三三〇円であり、亡秋子は、満六七歳まで稼働可能であったので、就労可能期間二五年の中間利息をライプニッツ係数14.094を用いて控除し、右稼働可能期間の生活費を三〇パーセント控除すると、逸失利益としては、右金額が相当である。

(二) 慰謝料

(1) 秋子固有の慰謝料二〇〇〇万円

(2) 原告花子及び太郎の慰謝料

各四〇〇万円

(三) 葬式費用(太郎負担)

一二〇万円

(四) 弁護士費用

太郎分 三〇〇万円

原告花子分 二八〇万円

(五) 相続関係

(1) 秋子は死亡時独身で子供がなかった。したがって、秋子の被告らに対する損害賠償請求権は、秋子の死亡により、同人の実父母である原告花子及び太郎がそれぞれ二分の一ずつ相続した。

(2) 太郎は、平成七年二月二四日死亡した。原告花子と太郎との間には秋子の他原告甲野春子、同甲野一郎、同甲野夏子、同甲野二郎の子供がいる。太郎の被告らに対する右損害賠償請求権は原告らがそれぞれ相続し、その割合は原告花子が二分の一、他の者がそれぞれ八分の一ずつである。よって、原告らの被告らに対する損害賠償請求金額は、次のとおりである。

原告花子 四七三六万〇三三三円

その余の原告

各四〇六万三三六一円

二  被告らの主張及び反論

1  長期血液透析の適応に関する被告らの見解

(一) 血液透析は、諸原因によって機能を失った腎臓に代わり、人工的に血液中の余分な水分や尿素窒素、血清クレアチニン値等で表される尿毒素物質を除去し、血液の浄化を行う治療法である。血液透析には、回復の見込みのある急性腎不全に対して行う一時的な短期血液透析と腎機能の回復の見込みのない慢性腎不全に対して行う長期血液透析があるところ、本件は秋子が糖尿病性腎症によると思われる慢性腎不全であったことから、長期血液透析の適応の有無が問題とされた。

(二) 長期血液透析を実施するための適応があるか否かは、長期血液透析により改善される病態があり、患者がそれに耐えられ、その結果が有意義であると考えられる場合をいう。長期血液透析は患者に肉体的精神的な苦痛を与え、患者に対して、血液透析そのもの又は血液透析を行っている間の日常生活において多大な制約を課し、極限までの忍耐を要求する。それ故、患者は長期血液透析療法について理解し、了解することが必要であり、右苦痛等に耐える自制心、自己管理能力、医療スタッフに対する協力が絶対的な要件となる。したがって、重症の精神障害者の場合には、一般的に長期血液透析を実施するための適応がないと考えられる。これは、当該患者に精神障害があるから適応がないという意味ではなく、精神的障害が、患者の自制心、自己管理能力及び医療スタッフに対する協力等長期血液透析に必要不可欠な要件が満たされない程度に重症であれば適応とはならないということである。

(三) 長期血液透析療法の適応のない患者であってもその家族等からの要請により長期血液透析がなされる場合がある。この場合には血液透析療法の実施を要請する家族等が長期血液透析について十分に理解し、家族としての負担に耐え、積極的に患者を支持する決意が必要であり、単に長期血液透析を行えばすべて患者が救われるなどとの安易な発想からの要請であれば、長期血液透析療法を行うことは、患者に対して無益な苦痛を与えるだけである。

2  本件における被告三井島医師の長期血液透析導入に関する判断

(一) 被告三井島医師の秋子に対する診察経過等

(1) 平成三年七月一二日、被告三井島医師は、秋子を診察したが、秋子は、同医師の問いかけに対しても黙って椅子に座ったままで反応することがなかったことから、被告三井島医師は、病状について秋子自身は理解できないと判断した。そこで、秋子に同行していた原告花子から病歴等について説明を受けた。被告三井島医師は、佐々木医師及び斉藤医師からの紹介状に記載されていることを確認した上で、秋子が慢性腎不全、糖尿病性腎症、尿路感染症、神経因性膀胱であると診断し、原告花子に右病名を告げるとともに、慢性腎不全が急速に進行しているが、これの急性増悪因子である神経因性膀胱、尿路感染症等の管理ができれば慢性腎不全は従来のレベルに回復する可能性があること、それがもどらないときには長期血液透析を考えなければならないが、秋子のさいとう医院での自己導尿教育拒否や水分摂取指導拒否等の態度をみると、長期血液透析導入は困難と思われること、長期血液透析導入の最低条件として本人の透析に対する必要性の了解と、自己管理を含め医療スタッフへの協力が必要であり、又、外来通院透析の確保も必要であり家族の負担も大きいこと、尿路感染症等の治療によっても腎機能が回復せず、家族の負担を覚悟の上で透析を望むならば、再度連絡してほしいと説明するとともに、佐々木医師に対して、原告花子に対する右説明と同趣旨の内容を記載した返書を書いて原告花子に持たせるとともに、秋子を一ツ瀬病院に帰院させた。この際、被告三井島医師の説明に対して、原告花子から何らの質問や疑問は出されなかった。

(2) 同月一六日、佐々木医師から再度県立病院精神科渡辺医師に対して、秋子に対する血液透析についての依頼があった。被告三井島医師は、渡辺医師から連絡を受け、佐々木医師に対し、電話で、長期血液透析の適応の有無について判断することを転院目的とし、もし適応がないと判断したときには一ツ瀬病院に戻ってもらうことを確認した上で、県立病院精神科に転院し入院することを了解した。

(3) 渡辺医師の診察の際、秋子は、月日又は場所について正答し、この時点では臨床的には意識は保たれていると考えられた。また、興奮や拒絶的な態度、幻覚、妄想等は認められなかったが、接触障害、運動減退、情緒鈍麻、衒奇的な姿態等の精神症状が認められた。更に、秋子からは自発的な発語がなかったために渡辺医師は、質問を行ったが、秋子は自分のおかれている状況を把握しておらず、何のために病院に来たのかわからない状態であり、病識を欠いているものと考えられた。これらの診察結果から渡辺医師は、秋子がヒステリーや症状精神病ではなく、精神分裂病であると考えられ、しかも病歴を考慮すると、発病後永年経過したものであること、診察前に行われた脳波検査の所見も考慮に入れると、右精神分裂病は重症な状態であると判断した。

(4) 同月一八日、被告三井島医師は、渡辺医師と協議し、秋子の糖尿病、腎不全等の治療に対する拒否的態度からみて、秋子には長期血液透析に対する了解能力と自己管理能力が欠如しており、長期血液透析の適応にならないと判断した。そして、翌一九日に原告花子及び太郎に対し、入院後の経過を説明した上で、長期血液透析を行うためには、秋子本人に透析に対する必要性を了解する能力と自制力、自己管理能力が必要であり、しかも家族の協力も必要であること、しかし、秋子は県立病院各科での診察結果及びこれまでの他の病院での状態から見て長期血液透析に対する理解が精神障害のために十分でなく、県立病院での長期血液透析の適応にはないと判断せざるを得ないこと、仮に長期血液透析に導入したとしても重症の尿路感染症があるため予後は厳しいこと、長期血液透析ができない場合は、一ツ瀬病院に戻って頂くという佐々木医師との事前の話があるので一ツ瀬病院に戻って頂くこと等について説明した。この際、原告花子らからどうしても県立病院で長期血液透析をしてほしいという希望は表明されず、確認のため、渡辺医師がカルテに右趣旨を記載し、原告花子及び太郎に見せ、読み聞かせた上で署名押印をしてもらった。

(二) 平成三年七月一二日時点における被告三井島医師の秋子に対する長期血液透析導入に関する判断及び被告らの過失の有無

(1) 平成三年七月一二日、県立病院における被告三井島医師の秋子に対する診察は、まず透析の適応の有無をみるためのものであった。そのとき適応があれば導入し入院となったであろう。斉藤医師、佐々木医師からは、右時点において、以後秋子に対する治療を県立病院で行ってほしいという依頼はなかった。

(2) 平成三年七月一二日、被告三井島医師が秋子に対する血液透析の適応がないとする判断は、絶対的なものではなく、家族の相当の覚悟のうえで導入させたいというのであれば導入するというものであった。右時点においては、秋子に対する長期血液透析が直ちに必要な状態ではなかった。かかる判断によって、被告三井島医師は、秋子を一ツ瀬病院に帰院させたものである。

(3) 被告三井島医師が、秋子に対する血液透析導入を拒否したということではない。また、被告三井島医師は、秋子に精神障害があるということから長期血液透析の適応がないと判断したものではない。

被告三井島医師は、さいとう医院における秋子の精神症状、拒否的態度等から、秋子には自分の病状がいかなる状態にあるか、血液透析がいかなる治療方法であるのか、日常どのような自己管理をしなければならないのか等を理解できる状態ではないと判断したものである。七月一二日、被告三井島医師が佐々木医師に対して書いた返書には、「家族が相当の覚悟の上でどうしてもとおっしゃる場合、連絡して頂きたく存じます。」と記載されている。

(4) 患者に承諾能力がない場合、例えば患者が未成年者のときには親権者が、精神障害者のときには保護義務者等が代諾権者として、患者本人に代わって承諾することになる。すなわち、親権者や保護義務者が医師に対して、患者本人にとって必要な診療を求めることになるところ、本件においては、秋子に代わってその両親が診察を求めたものであるが、これに対して、被告三井島医師は、前記のとおり、秋子について血液透析の適応の有無を慎重に検討し、その結果秋子には、血液透析の適応がないと判断し、その旨を十分に両親らに対して説明した。被告三井島医師の右説明に対して、両親らは秋子に対して血液透析を行わないことに同意した。

(5) 秋子に対して長期血液透析を行ったとしても、短ければ一ないし二週間程度の延命が期待できるかどうかという状態であった。このような患者に対して長期血液透析を行うかどうかは治療にあたった医師の裁量の問題である。また、仮に秋子に対して長期血液透析に導入し得たとしても、県立病院受診までの病状や他の医療機関での受診態度等からすると、日ならずして、長期血液透析は中断せざるを得ない状況に至っていたことは明らかである。

(6) 以上によれば、七月一二日時点において、秋子に長期血液透析療法を実施せず、一ツ瀬病院に帰院させた点に過失はなかった。

3  平成三年七月一七日以降における被告らの過失の有無

(一) 平成三年七月一七日以降においても、秋子は、自分の病状がいかなる状態にあるか、血液透析がいかなる治療方法であるのか、日常どのような自己管理をしなければならないのか等を理解できる状態ではなく、長期血液透析の適応はなかった。

(二) 右時点においては、秋子に対し長期血液透析を実施できない状態であった。同日の検査によれば、秋子は、顕著な低ナトリウム血症を呈しており、この状態で透析を導入すれば、まず不可逆的かつ致命的な脳障害を併発する危険性が極めて大きい。

(三) 以上によれば、平成三年七月一七日以降において、被告三井島医師が秋子に対して長期血液透析を実施しなかった点に過失はなかった。

三  原告らの反論

1  被告らの主張する血液透析導入基準について

(一) 透析療法が高度に進歩した現在の我が国においては、今日では、いかなる症例に対しても適応の有無を問題にすることなく、透析療法を施すことが可能になっている。そして、末期腎不全として診断した場合には、いかなる症例に対しても適応か否か、選択すべきか、断念すべきかなどと逡巡することなく、直ちに透析療法を実施すべきである。患者が非常に高齢であったり、脳動脈硬化症等のために、自分の病気に対する理解もできず、まして血液透析を始めとする療法の理解ができない場合でも、透析は多数行われているのであり、又、寝たきりの老人、目の不自由な人、痴呆状態にあり自己管理能力の十分でない人もこれを理由に透析療法を拒否されておらず、又、拒否することは許されないのである。被告らが主張する血液透析の適応に関する基準は、長期血液透析を受ける患者にとって、より望ましいものであり、長期血液透析の過程で、教育、指導、訓練等によって、より高めていくべき努力の目標ではあっても、それが当初から備わっていないと長期血液透析への導入もその後の実施もできないというものではない。

(二) 被告らが主張するように血液透析には事故発生の危険があり、患者の自制、忍耐が必要である。また、透析患者の肉体的精神的負担も相当に存在することは確かである。しかしながら、それにもかかわらず、長期間の血液透析がなされ、患者も家族もこれに耐え、医療スタッフもその実施に最善の努力をするのは、それなしでは死を待つしかないという厳然たる事実が存在するからである。たとえ、一定の困難な条件が存したとしても、その中で生命の尊厳をいかに守るかというのが医療の最大の目的である。このように考えると、血液透析の実施が不可能と判断されざるを得ないのは、当該患者が本人の意思として明らかに透析療法を拒絶している場合や腎以外にも身体的ダメージの大きい重度の疾患を有しており、透析治療してももはや医療として意味をなさない等の場合に限定すべきである。

(三) 本件においては、秋子に精神障害が存在したことは明らかであるが、であるからこそ秋子に対する長期血液透析の実施にあたっては、単なる透析の専門医療機関のみならず、精神科医の協力が求められていたのであり、透析治療体制の他に精神科も備えた総合医療機関において、精神科医療スタッフ等の協力を得て、本人に対する訓練、教育等を通じて安全、円滑な長期血液透析を行うよう努力すべきである。にもかかわらず、被告三井島医師は、わずかの時間の面接と紹介状などにある秋子の状態の記載を一読しただけで、秋子には長期血液透析の適応がないと決めつけたものである。

(四) 被告らが主張するように、血液透析について一定の適応能力が必要であるとしても、秋子には被告らが主張するような血液透析をする上での自己管理能力、自制心、医療スタッフに対する協力等の能力が存しなかったわけではない。秋子には、血液透析をスムーズに実施できる条件は十分に備わっていた。また、仮に被告らが主張するように、血液透析導入に関しては、家族の協力援助が必要であるとしても、本件においては、秋子の透析治療に関する県立病院への申込みに際して母親が必要な協力を申し出ている事実及び秋子の二人の妹が付き添ってきている事実からしても明らかである。

2  秋子の精神症状について

(一) そもそも重症の精神分裂病患者に対して、血液透析を実施しようとしない被告らの主張自体認められるべきではない。

(二) 本件当時秋子は、重症の精神病ではなかった。

3  秋子の承諾能力、両親の代諾権について

(一) 秋子には長期血液透析に関する承諾能力が存在した。にもかかわらず、被告三井島医師は、血液透析の必要性や現在の身体の状況等について、秋子に理解してもらうための努力を全くしておらず、秋子の承諾を得ようとはしなかった。

(二) 秋子の両親が秋子の代諾権者として承諾を与える立場にあったとしても、本件の場合、両親のなした承諾は有効な承諾とはいえない。すなわち、本人に代わる代諾は、承諾能力のないものを保護するために認められるものであるから、客観的に患者本人の不利益を招く同意、あるいは、拒絶は、代諾権の範囲外であって無効である。本件の場合、唯一の救命方法としての透析を導入しないことについて、承諾をなしうる権限は、両親といえども存在せず、その承諾は無効である。また、被告三井島医師の秋子の両親に対する説明は、秋子には血液透析の適応がないとの誤った判断、評価に基づき、透析拒否を両親が受け入れるよう一方的になされた押しつけにすぎない。

第四  本件の争点

一  平成三年七月一二日、被告三井島医師において、秋子には長期血液透析療法を行う適応がないとして県立病院から一ツ瀬病院に帰院させたことが不法行為を構成するか。

二  平成三年七月一七日以降において、被告三井島医師において、秋子に対して長期血液透析療法を実施しなかったことが不法行為を構成するか。

三  原告らの損害額

第五  争点に対する当裁判所の判断

一  当事者

<書証番号略>、原告甲野花子、被告三井島各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認めることができる。

1  原告ら

(一) 太郎及び原告花子は、秋子の両親である。秋子は六人兄弟姉妹の長女として、昭和二三年一〇月二六日出生し、地元の中学を卒業後宮崎県外に就職したが、昭和四九年、愛知県で勤務していた際、両親に勤務先から秋子の様子がおかしいので迎えに来るようにとの連絡が入り、秋子は宮崎県の両親の下に戻った。その後秋子は家業である農業の手伝いをしながら生活していたが、精神的には不安定で、独り言を言ったり、理由もなく激昂したりすることが少なくなかった。また、生活態度も正常ではなく、昼夜が逆転したような生活をしていた時期もあり、家からはあまり外出せず閉じこもりがちであった。秋子は、生涯独身で子供はなかった。

(二) 太郎は、平成七年二月二四日死亡した。太郎の相続人は、原告甲野花子及び太郎と同原告との間の子の原告甲野春子、同甲野一郎、同甲野夏子、同甲野二郎である。なお、太郎と原告甲野花子との間の四女甲野冬子は、昭和三六年八月七日死亡している。

2  被告ら

(一) 被告宮崎県は、普通地方公共団体であり、宮崎市北高松五番三〇号において宮崎県立宮崎病院(以下「県立病院」という。)を開設し運営している。県立病院は、病床数五〇〇を越える宮崎県内屈指の総合病院である。

(二) 被告三井島医師は、平成二年六月に被告宮崎県に雇用され、県立病院内科医師として主に血液透析を担当して平成四年三月三一日までの間同病院に勤務していた。

二  秋子の病歴、死亡に至るまでの治療経過

<書証番号略>、証人斉藤康の証言、原告甲野花子、被告三井島千秋各本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認めることができる。

1  平成元年ころ、秋子は、食欲があるにもかかわらず体重の減少が著しくなったため、両親が内科を受診するよう勧めたけれども応じず、何らの治療を受けることもなかった。平成二年六月ころ、秋子は、糖尿病に起因する、ふらつき、口渇等の症状が著しくなったため、同月四日、国立療養所宮崎病院を受診し、即日入院した。入院時の秋子の症状は、意識混濁、ふらつき、口渇、頻尿が著明というものであった。その時点での各種検査結果は、糖尿病の指標である血糖値八五六mg/dl(正常値は七〇ないし九〇)、腎不全症状の指標である血液尿素窒素値88.8mg/dl(正常値は七ないし二〇)、血清クレアチニン値2.3mg/dl(正常値は0.5ないし1.0)、血清カリウム値7.0meq/l(ミリエクイバレントパーリットル、正常値は3.7ないし5.3)、血清ナトリウム値一二四meq/l(正常値は一三五ないし一五五)であり、血液PHは7.25(正常値は7.40)であった(以下、単位については省略する。)。医師は、秋子を糖尿病、尿路感染症と診断し、インスリンの持続静脈注射を中心とした治療を行った結果、六月末ころには血液尿素窒素値28.5、血清クレアチニン値1.4、血清カリウム値5.5、血清ナトリウム値一三八、血液PH7.424でほぼ正常値となり、意識状態、全身倦怠感等の症状も改善してきた。

2  秋子は、全身状態がよくなるにつれ医師、看護婦の指示を守らず、食欲の生ずるままに飲食する等の態度をとるようになり、医師らから理解力不足、自己コントロール不良、注意されると深夜であるにもかかわらず大声をあげるといった行動を指摘されるようになってきた。

3  国立療養所宮崎病院での治療の結果、秋子の身体症状は、平成二年七月末ころには糖尿病対策としての食事制限を守り、自ら又は家族によってインスリン注射をすることができれば、退院し通院治療で足りる程度に改善した。そこで、医師は秋子の両親である太郎及び原告花子に対し、その旨を説明して協議したが、秋子に自己管理を期待することはできなかった。更に、原告花子らは秋子の弟である原告二郎の子を引き取って養育している上、太郎には脳梗塞の後遺障害があるため、秋子の世話までは手が回らない状況であった。そこで、原告花子らは秋子の糖尿病と精神障害の双方への対処が可能である病院として一ツ瀬病院(主たる診療科目は精神科)の紹介を受け、秋子は平成二年八月三日に一ツ瀬病院に転院して治療を継続することになった。

4  一ツ瀬病院に入院した時点における秋子の精神状況は、幼児的で看護婦に依存し、こまごまとした身の回りの世話を看護婦に要求し、また、糖尿病であるので自由に飲食できないことの説明を受けても菓子類を求めてきかないという状態であった。一ツ瀬病院に入院した当初の検査値は、血液尿素窒素値47.1、血清ナトリウム値一三九、血清カリウム値5.2であった。

5  平成二年八月半ばころから秋子には便・尿失禁が目立つようになり、腹部を圧迫して排尿したりするようになった。そのころの検査値は、血液尿素窒素値28.7、血清クレアチニン値1.2、血清ナトリウム値一四五、血清カリウム値4.6であって大きな異常はなく、また、精神状態も、感情の乱れはあるものの、会話は成立し質問者との意思疎通に支障はなかった。平成二年一一月ころになると、秋子の精神症状は安定し、看護婦に対する要求も以前ほどではなくなり、看護婦と病院の外に出るなど積極性も示すようになった。

6  平成三年一月になり、秋子は、医師が「非常に経過良好、身体的にも精神的にも介助は要らない。しかし、何故か入院継続希望らしい」との感想を持つまでに回復した。そのころ秋子は看護婦に対し、「以前から夜尿があり、正月に一時帰宅した時にもあった。病院で尿が漏れることはない。だから家にいるのが嫌だ。暫くは病院で様子をみたい。」との趣旨を訴えている。

7  秋子は、平成三年二月ころから全身掻痒感を訴え、これが持続したため、一ツ瀬病院の佐々木達郎医師(以下「佐々木医師」という。)は、平成三年三月二日、皮膚科・泌尿器科の専門医師である斉藤康医師(以下「斉藤医師」という。)に皮膚科的観点からの診察を依頼した。その時点での一ツ瀬病院の秋子に対する診断名はヒステリー及び糖尿病であった。秋子を診察した斉藤医師は、皮膚疾患は膿皮性毛のう炎であり、糖尿病が基礎疾患としてあるため治癒が遷延化したものであろうと判断した。更に、秋子は、同月中ころ、頻尿と排尿時痛のため斉藤医師の診察を受け、膀胱炎と診断されて治療を受けた。このような経過はあったものの、秋子の糖尿病及び精神症状は徐々に回復し、平成三年四月ころには佐々木医師は大要次のような評価判断をしていた。すなわち、「排泄もオムツ全面使用から、現在はトイレに一人で行けるようになった。糖尿病も改善した。内服薬と毎日の検尿と定期採血でコントロールしている。本人も糖尿病に関してそれなりの問題意識はあるが、食事の指導はおりにふれて必要である。歩行も自立している。精神症状は改善していて、少しずつ自分でやっていこうという構えはある。今後の展望としては、目標は家庭適応である。本人は気分的には安定しているので身体の改善状況をみてやってみたいという。外泊をときどき勧めることにする。」というものである。

8  平成三年五月になって、秋子の尿路系疾患の治療を担当していた斉藤医師は一ツ瀬病院の佐々木医師に対し、秋子の尿路感染症の原因は糖尿病を原疾患とする神経因性膀胱による尿の滞留であり、明らかな水腎症があるので膀胱にバルーンカテーテルを留置して尿の排出を図る必要があるとの連絡をした。そこで、佐々木医師は秋子の泌尿器系統の疾患の治療を行うため、さいとう医院に秋子を入院させることとし、五月一三日、秋子はさいとう医院に入院した。このころの秋子の精神症状は「精神症状は一定している。睡眠状態も睡眠剤服用で良好である。身辺処理もほぼ自立できており介助の必要はない。言語的コンタクトは可能である。」というものであり、各種検査結果は、血液尿素窒素値60.1、血清クレアチニン値2.0、血清ナトリウム値一四二、血清カリウム値6.0で、腎機能はやや低下の兆候を示していた。

9  さいとう医院に入院して約一か月が経過した平成三年六月中旬、秋子の水腎症は消失したが、そのころの血液尿素窒素値は四二、血清クレアチニン値は3.5、クレアチニンクリアランスは二四ml/分(正常値は八〇ないし一二〇)で改善されていなかった。同月二〇日ころから秋子は身の回りのことをほとんど構わなくなり、下痢、便失禁多く、食欲が減退し、尿量も減少してきた。同年七月二日ころには血液尿素窒素値八二、血清クレアチニン値3.5となって腎機能の低下がみられ、脱力感、倦怠感が増強し、精神的不安定状態が続くようになり、便は黒色泥状のことが多くなった。しかし、意識は明瞭で看護婦との意思疎通上の問題はなく、病棟の看護婦に対し「体がだるくて眠たい」「ここの病院ではうまくやっていけない。一ツ瀬病院へ帰りたい。ゆっくりとむこうの病院で治療したい。」などと訴えている。秋子はこのころから一ツ瀬病院への帰院を強く求めるようになり、七月八日ころからは食事をほとんどとらなくなってしまった。秋子のこのような態度をみた斉藤医師は、ヒステリー症状の発現を疑い、秋子には精神症状に対する治療を行いつつ糖尿病その他の身体疾患の治療をすることが必要であると考え、佐々木医師に連絡して一ツ瀬病院に帰院させることとし、秋子にもその旨を告げた。これを聞いた秋子は看護婦の指示に素直に従うようになり、食事も摂取するようになった。斉藤医師は六月一一日にバルーンカテーテルを抜去し、秋子に自分で導尿することを勧めたが、秋子が拒否したため、膀胱収縮剤を使用して排尿を確保していたところ、腎機能の低下が懸念されるようになったため、同年七月九日からは一日に五回ないし六回看護婦に導尿を行わせていた。

10  平成三年七月一一日、秋子はさいとう医院を退院して一ツ瀬病院に帰院した。その際に斉藤医師が付した病名は糖尿病性腎症、糖尿病性膀胱障害及び尿路感染症であり、同月八日にした検査値は、血液尿素窒素値が68.9、血清クレアチニン値が5.0、血清ナトリウム値が一三五、血清カリウム値が5.6であった。

11  秋子は一ツ瀬病院に帰院できたことを喜んだが、食事や水分の摂取をほとんどせず、顔面は浮腫ぎみであった。一ツ瀬病院に帰院した一一日にさいとう医院で採血した血液検査の結果が、同日ではあるが秋子が一ツ瀬病院に帰った後に判明したところ、そこでは血液尿素窒素値95.7、血清クレアチニン値9.0であって、腎機能が著しく衰えていることが窺える結果となっていた。そこで、斉藤医師は血液透析をも視野に入れた治療も検討する必要があると考え、また、秋子が斉藤医院から一ツ瀬病院に帰ってからは、さいとう医院入院中よりも元気になり、意欲も出てきたと一ツ瀬病院の者から聞いたこともあり、秋子には精神科的保護環境が必要なのであろうと考慮した上、佐々木医師と協議して精神科専門医も常駐している県立病院に秋子の治療を依頼することとし、一一日、県立病院泌尿器科の蓑田医師に電話連絡してその受入れを求め、承諾を得た。ただし、斉藤医師も七月一一日時点で直ちに秋子に対して血液透析を導入することが必要であると判断したわけではない。

12  平成三年当時、県立病院の血液透析の責任者的立場にあったのは泌尿器科の蓑田医師と内科の被告三井島医師であった。秋子については、糖尿病が基礎疾患としてあったため内科の被告三井島医師が担当することになった。佐々木医師と斉藤医師とはそれぞれ被告三井島医師にあて依頼書を作成しており、斉藤医師のそれには、さいとう医院における治療経過の概略と平成三年七月に入ってから急激に悪化した血液尿素窒素値と血清クレアチニン値が示されている。右各依頼書において秋子の精神症状について触れた部分は、佐々木医師の「精神症状(ヒステリー)」「精神症状悪化(わがまま)」との部分及び斉藤医師の「自己導尿を指導しましたが、頑として聞き入れず、ヒステリーのためか勧めればすすめるほど水分を摂ってくれません、やっかいなケース」との記載のみである。原告花子は、秋子に付き添って、秋子の弟で長男である原告一郎の妻月子とともに県立病院に来院した。県立病院で行った検査は血圧(八二〜四七)、脈拍(八二)の測定のみであり、被告三井島医師は秋子の聴打診をして心音と呼吸音を確認し、眼瞼結膜と眼球結膜を観察して貧血と黄疸の様子はないことを診た。その後、被告三井島医師は秋子を廊下に出して原告花子に対し、血液透析は容易なものではない旨を説明し、一ツ瀬病院に連絡するから同病院に戻るように指示した。被告三井島医師の佐々木医師に対する返書の内容は次のとおりである。「診断は(1)慢性腎不全、(2)糖尿病性腎症、(3)尿路感染症、(4)神経因性膀胱である。かなり急激に腎機能が悪化してきているようですが、これは(2)による(1)に加えて、(4)に対する導尿がうまくやれず、(3)の合併も加わったためと考えられます。(3)、(4)のコントロールをすれば腎機能は従来のレベルまでには改善すると思われます。導尿、抗生剤の治療をお願いします。血液透析療法の適応につきましては、当科ではその最低条件として①本人が透析の必要性を了解し、自己管理を含めスタッフの指導を受け入れること、②外来通院透析の確保、としています。この二点の確認ができなければ透析できません。現在までの本人の医療に対する反応等をみると、透析療法は困難と言わざるを得ませんが、家族が相当の覚悟の上でどうしてもとおっしゃる場合、連絡して頂きたく存じます。」、以上である。

13  県立病院に秋子の受入れを拒否された一ツ瀬病院では、斉藤医師の協力を得て一ツ瀬病院で可能な範囲の治療を行うこととし、膀胱への尿の滞留をなくす目的で一二日夕刻にはバルーンカテーテルを挿入し、排尿を促す目的でループ利尿薬の投与を開始し、必要に応じて昇圧剤を投与していた。その一方で、佐々木医師らは血液透析療法のできる施設を探して二、三の病院にあたったが奏功しなかった。七月一三日以降の秋子は、吐き気、嘔吐が激しくほとんど食物や水分をとることができなかったため、ぶどう糖液、生理的食塩水、ビタミン類で栄養と水分の補給を行っていた。七月一二日から同月一七日までの秋子の容体は、全身倦怠感は強いけれども、意識状態は良好であった。しかし、口唇、鼻腔などからの出血があり、便は暗黒色水様便であって出血傾向が生じていた。一五日の血液尿素窒素値は112.9、血清クレアチニン値は11.7、血清ナトリウム値は一二二、血清カリウム値は5.8であった。

14  七月一六日、秋子は、意識は清明であるものの、顔面には浮腫が生じて満月様になり、血液尿素窒素値は112.2、血清クレアチニン値は11.4であって、いつ尿毒症症状が現れてもおかしくない状態になっていた。ただし、血清ナトリウム値は一二五、血清カリウム値は5.4でさほど異常ではなかった。

15  七月一二日秋子が県立病院から帰された後、一ツ瀬病院で斉藤医師から血液透析をしなければ予後は不良であると聞いた原告花子は、被告三井島医師から血液透析を行うことは家族の負担も大きいとの趣旨の説明を聞いていたこともあり、また、被告三井島医師から佐々木医師に対して「家族が相当の覚悟の上でどうしてもとおっしゃる場合、連絡して頂きたく存じます。」との通知があったことを佐々木医師から聞いたため、秋子に家族の付添いを付けるならば県立病院で血液透析をして貰えるものと考え、いずれも大阪府に居住していた秋子の妹二人(原告春子及び原告夏子)に秋子の付添いのために宮崎に帰ってくるように連絡し、原告春子らは翌一三日に宮崎に帰った。

16  佐々木医師は、一六日、県立病院精神科の渡辺謙次郎医師(以下「渡辺医師」という。)に秋子の受入れを再度依頼し、渡辺医師から承諾の返事を得たため、七月一七日午前九時、秋子は妹二人の付添いを受けて一ツ瀬病院を出て県立病院に向かった。一ツ瀬病院においては、斉藤医師の指導のもと、秋子に対し、継続して点滴静脈注射の方法によってぶどう糖液や生理的食塩水の補液を導入していたが、一七日午前一一時三〇分に県立病院に入院した後、県立病院において生理的食塩水等の補液が開始されたのは同日午後六時五〇分に至ってからであった。

県立病院に入院時秋子は看護婦の質問に対し「体が少しきついだけです。早く元気になって帰りたいです。頭も痛くありません。鼻づまりがあり、薬を貰って治っていました。」とはっきりした口調で返事した。入院時、秋子の口腔内は古い血液等で汚染されており、看護婦が清拭した後も口唇からじわじわと出血した。両下肢には浮腫があった。一七日午後四時ころにあった排便は黒色便で、血尿も存在した。入院時の意識の程度や理解力に関する調査結果としては、問いかけに対する反応は早く、質問を理解することはできる旨の評価がされている。

一七日午後三時、被告三井島医師と原告花子らが話し合ったが、その際、原告花子は秋子の身体症状を改善してほしい、具体的には血液透析をして貰いたい旨を伝えたところ、被告三井島医師は、秋子の精神症状の評価をした後に血液透析に導入するかどうかを決めたいと返答した。一七日に県立病院でした検査結果は、血液尿素窒素値一〇九、血清クレアチニン値12.1、血清ナトリウム値一一二、血清カリウム値5.2であった。

17  七月一八日、秋子の検査結果は、血液尿素窒素値127.5、血清クレアチニン値11.6、血清ナトリウム値一一〇、血清カリウム値5.3、血液PH7.082であった。当日午前七時の秋子は、傾眠状態で言葉は断片的であり、午後二時四五分も同様の状態で、午後八時には幻覚が現れていた。同日、被告三井島医師は「本人が透析に対する理解力がないので当院の透析適応にはあてはまらない。」として、秋子には血液透析をしないことを決め、秋子を精神分裂病であると診断した精神科の渡辺医師とともに、当日秋子の付添いをしていた秋子の妹に「秋子の病名は慢性腎不全である、これに対する長期血液透析は本人がその必要性を理解し、自己管理する能力が必要であるが、秋子は重症の精神分裂病のためにその能力がないから導入できない、血液透析できない場合には生命の予後は不良であるが、他に方法はない」旨を伝えた。右の説明を受けた妹は、両親に説明してもらいたいと返答した。翌一九日午前八時から同八時三〇分までの三〇分間、被告三井島医師は渡辺医師の同席をえて原告花子と太郎に対し前日と同様の説明をしたところ、原告花子から他の治療法はないか、薬でも貰えないかとの質問がされたが、被告三井島医師は、方法はない、投薬は効果がない旨を返答したのみであった。被告三井島医師は、一九日、一ツ瀬病院の佐々木医師に対しても秋子には血液透析を導入できない旨を電話で伝えた。その際、佐々木医師は、なんとか血液透析して貰いたいとの趣旨の依頼をしたが、被告三井島医師が対応を変更しなかったため最終的には一ツ瀬病院への受入れを承諾した。

18  一九日午後零時一〇分に秋子は一ツ瀬病院に帰院したが、その時点で呼名反応はなく、午後一時三〇分には呼名反応、痛覚反応、瞳孔反射いずれもマイナスとなっており、その状態のまま、二〇日午前六時四五分に死亡した。

三  秋子の病態と死因について

右二において認定した事実、<書証番号略>によれば、秋子の身体病変の基礎疾患は糖尿病であり、糖尿病性腎症に基づく慢性腎不全を生じて腎機能が低下し、糖尿病を原因とする神経因性膀胱のために尿の排出が困難となり、尿路感染症が発症、悪化したこと、秋子には精神疾患があったため治療の必要性の理解が不十分であり、食事制限等の自己管理を行い、また、自己導尿等の治療協力をすることができなかったため、糖尿病性腎症が進行し、かつ、尿路感染症に基づく腎への障害も加わって腎不全が進行したこと、これらの結果、慢性腎不全が末期状態となって腎機能が失われ、これが主たる原因となって心不全により死亡するに至ったものであること、以上のとおり認めることができる。

秋子の死因に関してはこれとは異なった専門家の意見も存在する(<書証番号略>、浅野泰教授の意見書)。右意見書では秋子の死因について「電解質異常、特に低Na血症の持続からくる食物摂取不能状態の持続、栄養補給を行わなかったための低栄養状態(衰弱)、利尿剤過剰投与による循環不全」が主たるものであり、「治癒の困難な難治性尿路感染症の存在。腎乳頭壊死の合併、敗血症の合併も疑われる。」「糖尿病の存在、腎不全の存在、いずれも生命維持に悪影響を及ぼしていたであろうことは否定しない。」としている。しかし、まず、低ナトリウム血症については、秋子の平成二年八月時点における血清ナトリウム値は一三九、平成三年五月時点は一四二、同年七月八日時点は一三五であって正常値であり、秋子が二度目に県立病院に搬入される前前日である七月一五日の血清ナトリウム値は一二二、前日である七月一六日におけるそれは一二五であって、正常値一三五ないし一五五と比較してさほど異常な値とはいえず、浅野教授もこの点については次のとおり述べている。

(原告ら代理人)

「このナトリウムの値が一二五という場合ですが、この値で先生が言われるようなその様々な症状というのは出てくるんでしょうか」

(浅野教授)

「出てくる場合もあると思いますし、これは個人差ありますし、その同時の電解質が一つ崩れるというのは、もういろんな複合で崩れていることが多うございますので、なかなか出るか、出ないかと……。まあ、低ナトリウム血症であることは間違いございません。」

以上のように、浅野教授自身、秋子の低ナトリウム血症の程度が重篤なものであるとは述べていない。したがって、低ナトリウム血症のために食物摂取が不能であったとは認め難い。七月一三日以降、秋子は吐き気、嘔吐が激しかったため食物をとることができなかったが、これは後に述べるとおり、尿毒症症状としての食欲不振、嘔吐であるとみるのが自然であると考える。次に、栄養補給不足については、一ツ瀬病院では斉藤医師の指導下で秋子に対してぶどう糖液、生理的食塩水、ビタミン類の補液を行っているのであり、確かに、秋子は食物や水分の摂取が十分ではなかったため衰弱していたことは否定できないけれども、これは尿毒症症状に起因するものとみるべきであり、一ツ瀬病院の栄養補給不十分に原因を求めることは当をえないものと考える。更には、利尿剤過剰投与の点については、浅野教授自身次のとおり述べており、秋子に対しては利尿剤を投与したことが問題なのではなく、その尿毒症症状が改善されなかったことが重要であって、そのためには血液透析等の血液浄化法を導入するしか方法は存在しなかったと認めるのが相当である。

(原告ら代理人)

「意見書の中でループ利尿薬のラシックスの使用を問題にしておられるんですが、―中略―予防という意味では生理的食塩水等で電解質補充をしながら、合わせてこのラシックスを使って溶質を出すというんでしょうか、中のものを出してしまうというのが高カリウム血症予防の方法としては現実的な方法ではないんでしょうか。」

(浅野教授)

「高カリウムの血症に関してはですね。」

(原告ら代理人)

「そうなると、カリウムが上がらないために、一つはこのラシックスを使って、できるだけこの溶質を出していこうと、こういう考え方も一般臨床医には認められるんではないでしょうか。」

(浅野教授)

「―略―それを一般臨床家が考えてもおかしくはないと思います。」

「―略―この患者さんのように、腎障害があるときにループ利尿薬を使うということに関して、私反対しているわけではございません。」

最後に、死因として疑われている敗血症の合併等であるが、これについては疑いのみであって具体的な根拠が示されているわけではなく、秋子の死因に関する前記認定を左右するに足りるものではない。

四  血液浄化法について

<書証番号略>、証人高橋邦康の証言によれば、次のとおり認めることができる。

1  腎とその機能

(一) 腎は腹膜の後ろにある一対の臓器で、多数の腎単位(ネフロン)の集合したものである。ネフロンは腎小体と尿細管からなり、排出機能を営む構造単位である。腎小体は糸球体とそれを包むボーマン嚢から成っており、糸球体が腎動脈血の供給を受けている。一個の腎には約一〇〇万個のネフロンがあり、腎の機能をみる場合にはこのネフロンを基礎として考えればよい。腎の働きは、代謝(生体が外界の物質を取り入れるために行う化学変化をいう。)老廃物を排泄し、かつ、体液の恒常性を維持することであり、具体的には次のとおりである。①蛋白代謝の終末産物である尿素、クレアチニン、尿酸等の排泄、②体内の水分量や体内電解質(水などの溶媒に溶かしたとき、陽イオンと陰イオンに解離し、その溶液が電気を導くようになる物質をいう。酸、塩基、塩類などがある。)の組成を一定に保持する、③体液の酸塩基平衡の調節(血液PHの正常値は7.4で弱アルカリ性である。)、④血圧と体液量を維持する、⑤造血ホルモンを生産する、⑥ビタミンDを活性化する、⑦キニン等の局所ホルモンを生産する、⑧種々のポリペプチド(ペプチド結合によってアミノ酸二個以上が結合した化合物をペプチドというが、多数のアミノ酸がペプチド結合したものをポリペプチドといい、一〇〇個以上のアミノ酸がペプチド結合したものを蛋白質という。)の分解と代謝、以上である。慢性腎不全ではネフロンが破壊されるが、治療によってこれが再生されることはないため、慢性腎不全の進行は早い遅いの差異はあっても不可逆性を有し、腎機能がほとんどなくなる末期では血液透析などの血液浄化法によるか腎移植を行うしか生命保持の手段はない。

(二) 腎の病変(腎不全)によって生じる事態

(一)で述べた腎の機能が失われるため、高窒素血症(血液中に蛋白質の最終代謝産物である尿素、クレアチニン、尿酸等の含窒素物質が異常に滞留すること)、血液中のカリウム濃度が高くなる等の水・電解質平衡の異常、代謝性アシドーシス(血中の酸と塩基の平衡関係が崩れ、酸優位の状態になること)の進行などが生じ、尿毒症(一般状態として浮腫、倦怠、食欲不振、出血傾向、中枢神経系として意識障害、昏睡、脳波異常、痙攣、循環器系として高血圧、不整脈、うっ血性心不全、消化器系として嘔吐、吐血、下血など)により死亡するに至る。中でも、高カリウム血症と代謝性アシドーシスは生命に対する危険が大きく、血清カリウム値が6.0meq/l(正常値は3.7ないし5.3)以上になると心停止の蓋然性が高くなり、また、人が生存可能な血液中の酸塩基バランスは、血液PH7.00ないし7.70である(正常値は7.40)。慢性腎不全が進行して尿毒症症状が発生すると、血液透析等の血液浄化法を実施しあるいは腎移植を行わない限り長くても数週間で死亡する。

(三) 腎不全の程度の指標

腎機能が衰えると、血中の含窒素物質(尿素、クレアチニン等)を尿として排出する能力が減退するため、腎不全の程度を知る指標として血液尿素窒素値(BUN)、血清クレアチニン値(SCR又はPCR)、クレアチニンクリアランス(CCR、これは糸球体濾過値・GFRと同義で、尿の生成と排泄の程度を示すものである。)等が用いられる。成人女子の正常値は、血液尿素窒素値七ないし二〇mg/dl、血清クレアチニン値0.5ないし1.0mg/dl、クレアチニンクリアランス八〇ないし一二〇ml/分である。

(四) 尿毒症の出現と血液透析への導入時期

腎機能が正常の一〇%以下に低下すると尿毒症症状を呈し生命の危険を生じるが、右の指標では血液尿素窒素値一〇〇以上、血清クレアチニン値一〇以上、クレアチニンクリアランス一〇ないし一五以下になると右症状が出現する危険度が高まる。一般の透析施設では患者の検査結果が右の数値に達すると透析導入を検討することが多い。厚生省透析療法基準検討委員会が昭和四七年に発表した透析導入基準では、血清クレアチニン値八以上でクレアチニンクリアランス一〇以下であることが、また、厚生省腎不全医療研究班・透析療法合同専門委員会が平成元年に発表した透析導入のガイドラインでも右同様の検査結果であることが導入のための重要な目安として示されている。腎不全の進展速度が慢性糸球体腎炎の場合よりも一般的に速い糖尿病性腎不全については、平成元年に厚生省糖尿病調査研究班によって透析導入基準の試案が発表されているが、ここでも前記数値は重要な目安とされている。

2  血液浄化法の方法と効果

(一) 血液浄化法の原理と効果

腎機能を喪失したときの治療である血液浄化法には、血液透析(HD)、血液濾過(HF、その中にIHFとCAVH=CHFがある。)及び血液潅流(PD、その中にIPDとCAPDがある。)がある。血液透析の原理は、セルロース製の透析膜の一方に血液を流し、他方側に透析液を流し、血液と透析液との間の濃度差を利用して血液から毒性物質を取り除いたり、血液に必要物質を補給したりするものである。血液濾過の原理は基本的には血液透析と変わるところはないが、透析膜が血液透析に使用するものとは異なり生体腎により近い種類のものが使われているため、生体腎が実際にしている量に近似した量の血液が濾過されることになる。ただ、尿細管の役割である再吸収機能は、再吸収されるべき成分を含んだ液を注入することによって代替させることになる。血液透析と血液濾過では、病院が備えるべき設備機材にほとんど差異はない。血液濾過法は昭和六一年ころにはその方法が確立されていた。いずれにせよ、血液浄化法は、血液透析であっても血液濾過であっても腎の機能のすべてを代替し得るものではなく、前述の腎機能のうち、①蛋白代謝の終末産物の排泄、②体内の水分量や体内電解質の組成を一定に保持する、③体液の酸塩基平衡の調節を補正する、以上の作用を行うものである。血液浄化法の実施によって腎の主たる機能はほぼ代替されるため、食事・水分制限等の厳しい自己管理が必要ではあるが、腎機能を完全に喪失しても通常の日常生活をし、場合によっては職場に復帰することも可能である。ただし、血液浄化法を導入すると僅かにではあっても残存していた生体腎の機能は徐々に衰える傾向にある。

(二) 血液透析と血液濾過の具体的方法と問題点

血液透析と血液濾過では、上肢にある橈骨動脈と橈側皮静脈間にプラスチック管を挿入して大量の血液を体外に取り出しやすくし(シャント術)、ここから一分間に約二〇〇mlの血液を体外循環させて浄化する。週間一五時間ないし二〇時間程度の時間を必要とし、これを二、三回に分けて行う。このシャント部分からの感染による敗血症には注意が必要であり、血液透析及び血液濾過中の事故は大量の血液が体外循環しているため大量に出血する危険を有している。また、血液透析導入の初期には、体液中の血液のみが最初に浄化されるため、血液と体細胞間に不均衡が生じて頭痛、吐き気が生じ、重篤な場合には意識混濁や脳浮腫が発生し、死亡に至ることもある(不均衡症候群)。ただし、血液濾過では理由は明らかではないが、不均衡症候群の発生頻度は少なく、初期には血液濾過法を用いて血液浄化に導入し、次いで血液透析に移行する透析施設が少なくない。血液浄化法による治療を受けている患者は、水分、塩分、カリウム等の摂取制限を厳重に守り、適切に蛋白質を取り入れることが必要であるなど、日常生活における自己管理が要求される。

五  糖尿病性腎症について

<書証番号略>、証人浅野泰、同高橋邦康の各証言によれば、次のどおり認めることができる。

1  近年、糖尿病が原因をなす腎疾患による腎不全患者が増加し、昭和六三年度の透析導入患者中、糖尿病性腎不全患者の割合は約二四%である。

2  糖尿病性腎不全の一般的特徴は、水分の体内貯溜と高血圧である。その悪化の程度は速いため、血清クレアチニン値が五程度であっても血液透析に導入することが少なくない。

3  糖尿病性腎不全によって血液透析を受けている患者の予後は、一般的には悪く、ある調査結果では三年生存四五%であり、日本透析医学会が平成四年末にした集計では四年生存率は49.1%となっているし、慢性糸球体腎炎による腎不全と同様の基準で血液透析に導入すると、七〇ないし八〇%は一年以内に死亡する旨を記載した研究論文もある。

六  血液透析又は血液濾過導入に適する者、特に精神疾患を有する者への導入について

血液透析又は血液濾過は先に認定したとおり、一回に五時間を越える時間を必要とし、これを週に三回程度行わなければならず、しかも、これを開始すると腎移植が成功しない限り終生継続しなければならない上に食事や水分の摂取について厳格な自己管理が要求される。そこで、血液透析や血液濾過の導入に際しては身体的必要性(腎不全の程度)の他に患者本人の精神的状態や家族の状況が問題とされることがある。そこで、以下においてはこの点に関する専門家の議論の状況を概観する。

<書証番号略>によれば、次のとおり認めることができる。

1  身体的必要性以外の点についての血液浄化法の適応要件につき、医学雑誌に発表された論考には次のようなものがある。①「(適応するのは)原疾患の回復が期待できない慢性疾患に対しては、血液浄化法により保持される身体状況が社会的にも質の高い生活活動をもたらす場合(である。)、―略―腎機能の一部を代行しても社会生活を送ることが困難な寝たきり老人や末期癌患者の末期腎不全は、慢性血液透析のよい適応にはならない。」(平成元年発表)、②「高齢者の透析療法を導入することは医師として当然に行うのが原則である。数日を出でずして死に至るものを導入することが患者の苦痛を一挙に増加させること、また血液透析がその患者にとって危険である場合、患者も家族も同意しないときは例外となろう。」(平成四年発表)、これらの他に、「血液透析への導入を検討するについて、現在では、患者の医療担当者への協力性、合併症の有無などを考慮する必要はない。ただし、八〇歳以上の老年痴呆者で、治療を受けることの意味を全く理解しえない場合、自然経過をたどらせるほうがより人間的に生を全うさせることになる場合はあると思われる。」「慢性透析患者の選択の基準に精神面の問題を加えることには慎重でなければならない。―略―重篤な精神病、痴呆、脳神経系の強度の器質的な変化などの場合は例外として、性格の問題や神経症的な反応などの問題がある場合には注意や対策を必要とするが、できるだけ透析に導入していくべきである。」との趣旨を述べている医学専門論文が存する。

2  石川県立高松病院の道下忠蔵院長が平成四年一二月から平成五年一月にかけて精神疾患を有する腎不全患者の血液透析導入上の問題点につき、全国の、単科精神病院四八六、総合病院精神科二二六、透析施設一九四からのアンケート調査を行っているが、その結果は次のとおりである。

① 透析施設のうち過去三年間に精神科加療中の患者の透析を経験したのは48.2%である。

② 過去三年間に、精神科加療中の患者で透析が必要であったにもかかわらず、そこでは透析できなかった経験がある透析施設は10.9%であり、その理由は、指示が守れない、精神症状が悪くなったときの対応が困難、家族の協力が得にくい、透析スタッフが少ない、といったものであった。

③ 精神科患者の透析経験のある施設に受入れの工夫を聞いたところ、回答は、薬で眠らせて落ちつかせた、家族と医師が十分なコミュニケーションをとった、透析中家族に付き添わせた、精神科医の協力を得た、透析スタッフがつきっきりで世話をした、というものであった。

④ 精神科患者の受入れが可能であると回答したのは、精神科外来のない透析施設では33.3%であるのに対し、これがある施設では69.6%であり、更に、精神科病床を有する施設では78.4%と高率になる。

⑤ 精神科患者の透析を行うについて非常に支障であった事項は、水分や食餌摂取の指導が難しい、患者の治療意欲がない、家族の協力が得られにくい、透析中の安静が保てない、透析患者を支えるスタッフが不足などであった。

3  被告三井島医師が所属する日本透析療法学会では、同会倫理委員会において、身体的には血液透析の適応があるが、精神疾患等により治療の困難な場合における指針として、平成三年一二月二四日、次のとおりの提案をした。第一、緊急の場合には、事情の許す限り治療プログラムに受け入れるよう対応するが、それが不可能な場合は他施設の斡旋に努力する、第二、透析の実施に当たっては、紹介医師の専門的協力による綿密な患者管理を要請する、以上である。

七  被告三井島医師の不法行為責任について

以上のとおりの事実経過並びに慢性腎不全、血液透析及び血液濾過に関する専門的知識経験を前提として、被告三井島医師において、平成三年七月一二日に秋子には血液透析導入の適応がないとして一ツ瀬病院に帰院させたこと及び同月一七日以降に秋子に対して血液透析を実施しなかったことの当否について検討する。

1  七月一二日の対応について

七月一一日に行った血液検査値である血液尿素窒素値95.7、血清クレアチニン値9.0は、尿毒症症状が出現してもおかしくない値である。そして、その直前まで一ツ瀬病院の佐々木医師から依頼されて秋子の腎の治療を担当していた斉藤医師が、入院中の秋子の態度(一ツ瀬病院で入院治療を受けていた当時の秋子は、精神症状は一定し、身辺処理もほぼ自立できていたにもかかわらず、斉藤医院に入院してしばらくしてからは、一ツ瀬病院への帰院を強く求めて精神的不安定状況が継続し、食事をほとんどとらなくなってしまったこと等)からして、秋子の身体的疾患の治療には精神科医の協力が必要であると考えて地域の中核病院である県立病院に協力を依頼しているのであるから、右の依頼を受けた県立病院の担当医師としては、精神疾患と重篤な腎障害を有する患者の治療に苦慮している地域の医師の立場に十分に配慮し、客観的に不可能でない限り、入院患者として受け入れ、病院に属する各専門分野の医師の協力を得て多角的な観点から総合的な治療を行うことができるよう努力すべきである。ところが、被告三井島医師は、秋子の血圧と脈拍を調べ、聴打診を行ったのみで、腎機能の検査を行いあるいは精神疾患の程度について一ツ瀬病院に問い合わせたり県立病院の専門医師に診断を求めることもせず、また、秋子の腎機能は、このまま適切な保存療法を継続したとしても血液透析を必要としないまでに回復することは困難であると考えていた(平成五年三月八日口頭弁論期日・被告三井島医師供述一六〇項「僅かな可能性ではありますけれども、腎機能が戻ってほしいという希望的観測」)にもかかわらず、一ツ瀬病院の佐々木医師とさいとう医院の斉藤医師からの依頼状に記載された秋子の医療拒否的態度から、秋子が将来血液透析を要する事態に至ってもこれを実施することは困難であると判断し、秋子の腎症状に対しては保存的治療を行うよう勧めて県立病院への受入れを条件付きではあるが断っている。このような被告三井島医師の対応は、県立病院には地域の中核病院としての社会的責任があることを考えるならば、これを妥当な処置として認めることはできない。しかしながら、さいとう医院等における秋子の従前の態度からするならば、秋子を精神疾患を有しない一般透析患者と同様に扱うことはできず、血液透析への導入には家族の積極的協力が不可欠であると考えられるところ、七月一二日の時点では家族の付添い等の準備は整っていなかったこと、一ツ瀬病院においても斉藤医師という泌尿器科専門医の協力が期待できるところ、右の時点では直ちに血液透析に導入する必要はなかったこと、被告三井島医師は佐々木医師への返書の中で家族がどうしても希望する場合は再検討する旨を伝えていることを総合的に考慮すると、七月一二日の被告三井島医師の対応を違法とまでいうことは相当でない。

2  七月一七日から同月一九日までの対応について

(一) 七月一五日の血液尿素窒素値112.9、血清クレアチニン値11.7、同月一六日の血液尿素窒素値112.2、血清クレアチニン値11.4は尿毒症症状が発生する蓋然性の高い数値であり、秋子の場合、慢性腎不全の進行によるものであるから、右症状が発生すると血液透析を行わない限り長くても数週間で死亡すること、原告花子は、血液透析に付き添わせるために秋子の妹二人を県外から呼び戻して治療への協力態勢を整え、主治医とともに血液透析への導入を再度要請しており、秋子及びその家族の意思は明瞭であること、当時の県立病院において秋子の血液透析導入を受け入れることのできない合理的客観的理由は存在しなかったこと、秋子には精神疾患があったが、それにしても家族、医師、看護婦との意思疎通に支障がない程度のものであり、この事実は被告三井島医師が一ツ瀬病院の佐々木医師に問い合わせるならば容易に判明したであろうこと、以上の事実からするならば、七月一七日午後三時に原告花子が秋子の身体症状をなんとか改善してほしい旨依頼したのに対し、被告三井島医師が秋子の精神症状の評価をした後に血液透析に導入するかどうか決めたいと返答し、直ちに血液透析に導入しなかったのは、医師の裁量の範囲を越えた違法な処置であるといわなければならない。自立した生活を送るまでには回復する見込みのない患者に対する延命を目的とする医療のあり方が議論されているけれども、この問題を考慮する場合に最大限尊重されるべきものは、患者本人の意思、利益が何であるかということであり、患者本人の意思確認が不可能又は困難である場合には、その介護に責任を有する配偶者、子、父母などの親族の意向が重視されるべきである。患者本人やその親族が右の判断をするにあたっては、医師は専門家としての知識・経験に基づき、加療した場合の病態予測、患者本人及び家族の精神的肉体的経済的負担を説明し、積極的に医療行為を行うことを断念した場合の予後の予測などを述べて患者本人等の判断の材料を提供し、あるいは医師としての意見を提供することは当然であるけれども、患者本人及びその家族が治療を希望し、かつ、積極的医療行為を行うについての客観的条件上の問題がない場合に、医師がこれを拒否することは、当該医療行為を行っても延命の可能性しかない場合であっても、許されないというべきであり、この理は、精神的疾患を有する者に対して血液透析等の血液浄化法を実施する場合であっても異なるところはない。この点につき、被告らは、第一に、秋子はその重症の精神分裂病の故に自己管理能力がなく、かつ、医療スタッフに対する協力を期待することができなかったから血液浄化法を実施する適応がなかった、第二に、七月一七日時点において秋子には顕著な低ナトリウム血症があり、そのため血液透析を行えば不可逆的かつ致命的な脳障害を発症する危険が極めて大であった、と主張しているので以下これらについて検討する。

(二) 自己管理能力等が不十分な者に対する血液透析の導入について

(1) 血液透析は患者にとっては過酷な治療法であり、相当の忍耐を要求されるものであること、血液透析による治療がされたとしても、食餌制限等の自己管理が十分にされなければ患者の生命に危険が及ぶこと、血液透析中の事故は、大量の血液が体外循環しているため重大な結果を招来する危険があること等の事情からするならば、精神疾患のために血液透析の意味や必要性を理解することができず、また、自己管理が不能あるいは不十分な者については、血液透析への導入を決定するについては、そのような事情のない患者に対する場合とは異なる配慮が必要となることを否定することはできない。しかしながら、このような検討は個々の患者ごとに個別的に行われるべきことは当然であるから、以下、秋子について考察する。

(2) 平成二年八月から秋子は主たる診療科目が精神科である一ツ瀬病院において入院治療を継続していたところ、入院から半年以上を経過した平成三年三月における精神科的診断名はヒステリーであった。当時、医師や看護婦は秋子との意思疎通に不自由を感じてはおらず、医師が「身体的にも精神的にも介助は要らない。しかし、何故か入院継続希望らしい」との感想を持つ精神状況であった。また、同年七月一七日の県立病院入院時点においても、秋子は看護婦との意思疎通を行うことが可能な状態であった。被告らは、平成三年七月一七日以降に県立病院精神科で行われた診察結果に基づき、秋子を重症の精神分裂病であると主張している。しかし、右の時期は腎不全による尿毒症症状が既に発現している時期であり、尿毒症においては中枢神経系の障害として、意識障害、昏睡、脳波異常、痙攣が伴うことは珍しくないのであるから、この時期に精神疾患につき正確な診断がされ得たとは考え難い。以上のとおり、秋子の精神疾患の正確な診断名が何であるにせよ、秋子は腎不全症状から解放されるならば精神科医師が入院の必要がないと判断する程度には他人との意思疎通をなし得る精神的能力を有していたものである。

(3) 平成四年一二月から平成五年一月にかけて全国の一九四透析施設に対して行われたアンケート結果では、精神科患者の受入れにつき、精神科外来のない施設でも33.3%が、これある施設では69.6%が、精神科病床を有する施設では78.4%が受入れ可能と回答している。また、精神科患者の透析を実施した施設では、薬剤で落ち着かせる、家族に付き添わせる等の努力をして困難を克服している。したがって、秋子の精神症状の程度からするならば、県立病院においてその受入れをすることが人的物的施設の関係で不可能であるとは考えられない。

(4) 透析専門家の身体的条件以外の点に関する透析導入要件に関する論考中には、高齢の痴呆症患者、末期癌患者等につき血液透析を積極的に導入することについては疑問を呈するものも存するが、秋子のように意思表明を行い、他人とコンタクトをとることのできる患者について、患者本人は拒否しておらず、家族は血液透析を積極的に希望しているにもかかわらず、血液透析への導入を疑問とするものは見当たらない。

(5)  以上の諸点を考慮すると、秋子の自己管理能力不足等は血液透析への導入を否定すべき正当な理由とはなり得ず、被告らのこの点に関する前記主張は失当である。

(三) 七月一七日に秋子に対して血液透析を導入することの危険性について

浅野意見書(<書証番号略>)中には、秋子に七月一七日に血液透析を実施すると「CPMがほぼ必発で不可逆的かつ致死的な脳障害を併発する」との記載がある。しかしながら、浅野教授自身、当裁判所において、低ナトリウム血症の治療を急激に行うとある程度の割合でCPMが発生する危険がある、すべての低ナトリウム血症を急速に補正することができないわけではない(「比較的急に起こった低ナトリウム血症は比較的急に治療してもしようがない。」)、必ずしも致死的ではない、との趣旨を述べており(平成六年五月三〇日口頭弁論期日・証人浅野証言七二項)、<書証番号略>の記載をそのまま採用することはできない。そして、一ツ瀬病院における検査値からするならば、秋子の低ナトリウム血症は七月八日以降急速に進行したものと認められるのであるから、秋子に七月一七日時点で血液透析を導入したとしても、CPM発生の危険はあるが、必発であるとか致死的であるとはいえないのに対し、秋子の尿毒症状態を放置すれば長くても数週間内に死亡するに至るのであるから、CPM発生の危険があることは、血液透析へ導入しないことの正当な理由とはなり得ない。

仮にこの点を措くとしても、証人高橋邦康の証言、弁論の全趣旨によれば、平成三年七月時点において県立病院でも血液濾過法を実施することが可能であったと認められるところ、証人高橋邦康の証言によれば、低ナトリウム血症を急激に是正することによるCPM発生の危険は、血液濾過法を採用することによって相当程度回避することができると認められる。この点については浅野教授の意見も次のとおり同趣旨のものである(平成六年六月二七日口頭弁論期日一七七項)。

(原告ら代理人)

「少なくともHFをやれば、先生が言われるような低ナトリウム血症の急激な是正によるCPMの発症等は避けられるのではないでしょうか。」

(浅野教授)

「かなり高い率で避ける方法は、できた可能性はあります。」

以上のとおり、七月一七日に血液透析を導入することは、秋子に低ナトリウム血症が存在したため危険であり、不可能であったとの被告らの主張も採用することができない。

八  被告三井島医師の不法行為と秋子の死亡との間の因果関係について

秋子の死亡原因の主たるものは腎疾患による腎機能の喪失であり、血液浄化法を導入すれば、その主たる機能は代替されるのであるから、七月一七日の時点においても相当程度の延命を期待できたものというべきである。しかしながら、糖尿病性腎症による血液透析実施患者の平均的余命は低く(慢性糸球体腎炎と同様の基準で導入すると七〇ないし八〇%は一年以内に死亡するとの論考もある。前記五3参照)、七月一七日時点では既に尿毒症症状が出現するほどに腎不全症状は進行しており、血液尿素窒素値等の検査値は慢性糸球体腎炎由来の腎不全であっても血液透析を実施しなければならない数値となっていたこと、秋子には精神疾患があり、そのため血液透析患者に必須の自己管理を行うことが困難で、かつ、合理的理由なく医師や看護婦の指導を受け入れない場合もあったこと、以上の諸点を考慮すると、七月一七日に県立病院で適切な血液浄化法が実施されていたとしても、秋子が自立して生活することができるまでに回復したとは認め難く、その余命はさほど長くはなかったと認められる。

これを要するに、七月一七日に適切な血液浄化法が導入されていたならば、秋子は七月二〇日に死亡することはなく、相当期間生存できたと推認できるけれども、自立生活を送ることができるまで回復したとは認め難く、かつ、その余命はさほど長くはなかったであろうと考えられる。

以上のとおり、被告三井島医師の前記不法行為と秋子の死亡との間には右の限度において相当因果関係が認められることになる。

よって、被告三井島医師は民法七〇九条により、被告宮崎県は同法七一五条により、被告三井島医師の前記不法行為によって原告らが被った損害を賠償すべき法的義務があることになる。

九  原告らの損害について

1  本件における被告三井島医師の過失の内容と程度、右に認定した不法行為と秋子の死亡との因果関係の牽連性の割合、秋子の生活歴、その年齢(昭和二三年一〇月二六日生まれ、死亡時四二歳)、その他本件に現れた諸事情を総合考慮すると、秋子自身の慰謝料として被告らが賠償すべき金額は五〇〇万円とするのが相当である。原告花子及び訴訟承継前の原告太郎は秋子の死亡により右損害賠償債権を二分の一ずつ相続し、太郎の死亡により、同人が承継した損害賠償債権を妻である原告花子が二分の一、二女である原告甲野春子、長男である原告甲野一郎、三女である原告甲野夏子、二男である原告甲野二郎がそれぞれ八分の一ずつ承継した(弁論の全趣旨)。よって、原告花子は三七五万円、その余の原告らはそれぞれ三一万二五〇〇円ずつを相続したことになる。

なお、原告らは被告らに対し、秋子自身の逸失利益並びに原告花子及び太郎固有の慰謝料をそれぞれ請求している。しかし、前記認定した秋子の病状、本件の事実関係等を総合して判断すると、原告らの右各請求は認められない。

2  弁護士費用

本件事案の内容、審理の経過、認容額等の諸事情を総合的に考慮して、被告らの不法行為と相当因果関係のある損害として被告らが負担すべき弁護士費用は原告花子につき四〇万円、その余の原告らにつきそれぞれ五万円と認めるのが相当である。

一〇  結論

よって、被告らは、各自、原告花子に対しては損害賠償金四一五万円、その余の原告らに対しては損害賠償金三六万二五〇〇円及びこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである平成三年一二月一日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本訴請求はこの限度で理由があるから認容するが、その余については失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加藤誠 裁判官黒野功久 裁判官内藤裕之)

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